日本兵の慰霊の為にミャンマーの僧になった今里淑郎さん
太平洋戦争のインパール作戦で無線通信分隊長の今里氏は部隊の400名のうち2名の生き残りの1名として終戦1年後に帰国し、医療機器会社を創業し、科学技術庁長官賞を受ける程に発展させた。
しかしビルマで亡くなった戦友のことが常に心にあり、ミャンマーに慰霊碑を立て、ミャンマー寺院の試験を受け上位僧の資格を取った。
国内各地の慰霊祭にも参加し、毎年のようにミャンマーに慰霊にいった。
戦闘で多くの部下を亡くした昭和20年3月1日と同じことしの平成30年3月1日に淑郎さんは96歳で逝去した。
父と30年間行動を共にしてきた娘の藤原淑子さんは、ミャンマーの寺院に飾られる父のミャンマー僧姿の写真の修正を当店に依頼に見えた。
娘さんがこの父の僧姿の写真をもってミャンマーに行かれます。(2018年10月現在)